昔から、「なぜなぜ坊や」がいるものだ。「お父さんこれどうしてこうなの?」「お母さんなぜこうなの?」などと親を質問攻めにする。なぜなぜ坊やは将来が楽しみな子供である。こういった子供に対して、親はいい加減な答えをしてだまらせたりしていないだろうか。最近の親は大学を卒業している人たちが多くなっている。子供に難しい理論をそのまま教えてしまったり、不確かなことでごまかして教えたりすることはないだろうか。私はこういう子供に対してはすぐに教えない方がよいと思う。知識が簡単に子供に入ってしまうことに対しての危機感を思うのである。教えないで「自分で調べてみたらどうかな」とか「お母さんと一緒に調べようか」などと言って、自分の力で知識を得られるように、調べ方や辞書や百科事典などの引き方を教える。その方が、子供に学ぶ楽しみ、新しい知識を得た時の感動を与え、努力する喜び、本物の知識に繋がる。特に理科や社会などは自分で調べるという方法をとっていくべきである。
公立高校入試のための一斉模試は「公立高校の入学試験に似た問題が出題される」「原則として都道府県内の中学三年生全員が受験する」という条件がそろうので、偏差値が有効に機能します。国公立大学共通一次試験(現中学入試センター試験)も同じです。ところが中学入試ではそれぞれの学校が独自の入試問題を作成するので?の条件が整いません。また各学校の受験者が最終的に決まるのは直前対策期後半ですから、?の条件も成り立たないことになります。結局、中学入試の受験指導では偏差値による成績管理や合否判定がうまくはたらきません。中学受験業界がこのような事情を考慮せず、公立高校入試のシステムを安易に導入したことがさまざまな弊害の原因といえるのではないでしょうか。逆に中学入試でも??の条件が整うケース(次に取り上げる対策テスト)では偏差値による成績管理や合否判定が有効に機能しますが、それ以外では異なるテストの偏差値を比較しても意味がないのです。
高校の内容を中学にシフトさせることで、結果的に生徒の負担を軽くするだけでなく、人格形成においてもきわめて合理的な指導が可能となります。いまは高校受験が半ば形骸化している面がありますから、受験でわざわざカリキュラムを切る必然性が薄れており、なおさら弊害が発生しやすいのではないでしょうか。それに、中学生になれば、経済の動きや税金の話などにかなりの興味を抱いていて、大人顔負けの分析をすることも少なくありません。また一般の市販雑誌や科学などの専門雑誌などに目を通すケースも考えられます。そうした点について、腰をすえてじっくり教育できるのも大きな利点といえます。ちなみに大学受験は、社会への第一関門という意味があり、競争社会の片鱗を体験させるという面で、存在価値がむしろ高まっているのです。